謎のマーク ― 2009年03月25日 08時08分49秒
さて、この間の週末の遠出の帰り道、
愛車のコンソールになぞのマークが点灯した。
(○)
こんな感じ。かっこの部分は点線なのだが、
何かイラストからはドラムブレーキを連想する
のだが、この車は全輪ディスクブレーキだ。
トリセツを読んだら(というか見たらという表現が
正しい)ブレーキ関連のなんとか、かんとかと書いてあった。
私の乏しいドイツ語ヴォキャブラリー・
データベース(つまりアタマの中のこと)では、
「0件を発見しました」
というメッセージがでるばかりだ。
車に常備してある取扱説明書ではなく、
今戸棚にしまってあるもう一冊の取扱説明書を
見たら、英語版でドイツ語よりは理解が早い。
あ~「ブレーキパッドが減ってるのでディーラーで
チェックしてください」
ということがわかった。
またディーラーに行くか電話して予約してから
車持込ですねぇ。
ちょっとだけ面倒くさいな。。。
愛車のコンソールになぞのマークが点灯した。
(○)
こんな感じ。かっこの部分は点線なのだが、
何かイラストからはドラムブレーキを連想する
のだが、この車は全輪ディスクブレーキだ。
トリセツを読んだら(というか見たらという表現が
正しい)ブレーキ関連のなんとか、かんとかと書いてあった。
私の乏しいドイツ語ヴォキャブラリー・
データベース(つまりアタマの中のこと)では、
「0件を発見しました」
というメッセージがでるばかりだ。
車に常備してある取扱説明書ではなく、
今戸棚にしまってあるもう一冊の取扱説明書を
見たら、英語版でドイツ語よりは理解が早い。
あ~「ブレーキパッドが減ってるのでディーラーで
チェックしてください」
ということがわかった。
またディーラーに行くか電話して予約してから
車持込ですねぇ。
ちょっとだけ面倒くさいな。。。
聴く耳 ― 2009年03月25日 09時11分23秒
さて、人間誰しも「聴く耳」を忘れたら、
その後の変化・成長・向上は期待できない。
例えその時は反対意見で対峙しても、
時間を置いて冷静に考える、他人の意見に
耳を傾ける、このプロセスなくして
限界を広げることはできない。
限界とは、体力の限界を示してはいない。
主観・認識・経験と事実が作り出す判断の限界という方が
近い。
どんなに提言しても、「聴く耳」を持ち合わせていない
人はいる。(養老氏のバカの壁と同じかもしれない)
自分の根本の性格が、ちょっとやそっとの経験や
他人の提言などで変わらないのと一緒だ。
自分が変われない、変わらないのに、他人だけは
ちょっとの提言で変わるということは、まずありえない。
それをおこがましい、驕りと捉える人もいる。
それでも、変わる人変われる人はいる。
「聴く耳」を持っている人間だ。
そういう人間になりたいし、
そういう人間とともに活動したいものだ。
その後の変化・成長・向上は期待できない。
例えその時は反対意見で対峙しても、
時間を置いて冷静に考える、他人の意見に
耳を傾ける、このプロセスなくして
限界を広げることはできない。
限界とは、体力の限界を示してはいない。
主観・認識・経験と事実が作り出す判断の限界という方が
近い。
どんなに提言しても、「聴く耳」を持ち合わせていない
人はいる。(養老氏のバカの壁と同じかもしれない)
自分の根本の性格が、ちょっとやそっとの経験や
他人の提言などで変わらないのと一緒だ。
自分が変われない、変わらないのに、他人だけは
ちょっとの提言で変わるということは、まずありえない。
それをおこがましい、驕りと捉える人もいる。
それでも、変わる人変われる人はいる。
「聴く耳」を持っている人間だ。
そういう人間になりたいし、
そういう人間とともに活動したいものだ。
不便な道具 ― 2009年03月25日 09時50分59秒
さて、言葉というのは本当に不便な道具だ。
考えを伝えるとき、
美しい景色を伝えるとき、
味を伝えるとき、
音を伝えるとき、
脳には写真のように貼り付いている
ロジック・情景・味覚・音楽など
言葉(文章含む)を使うと、
とたんに長い文章になり、それでも的確には伝わらない。
もちろん自分の拙い文章表現・構成力というのは
わかった上で、でもだ。
***のような色とか、XXXXのような味とか
そういう表現はそれを経験したことのある人にしか
伝わらない。
それでも、話す・書く・読むをあきらめたら
理解に近づくこともできないので、
あきらめる気はないですけれども。
考えを伝えるとき、
美しい景色を伝えるとき、
味を伝えるとき、
音を伝えるとき、
脳には写真のように貼り付いている
ロジック・情景・味覚・音楽など
言葉(文章含む)を使うと、
とたんに長い文章になり、それでも的確には伝わらない。
もちろん自分の拙い文章表現・構成力というのは
わかった上で、でもだ。
***のような色とか、XXXXのような味とか
そういう表現はそれを経験したことのある人にしか
伝わらない。
それでも、話す・書く・読むをあきらめたら
理解に近づくこともできないので、
あきらめる気はないですけれども。












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