ロータリー交差点2013年02月24日 08時45分22秒

さて、長野県で欧州でおなじみのロータリー交差点が
試験的に導入されるようだ。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130223-00000652-yom-soci

個人的には非常にいいことだと思うが、日本での定着が可能かは
議論が分かれるだろう。

道幅や道路数、それらの道が導いていく最終的に必ず通らねばならない幹線の
数・道幅に対する車の数が、欧州(ドイツやフランス)に比べて、
非常に多い(←私の推定)という「ロータリー以外の道路インフラの問題」
結局、ロータリーでスムーズに行ってもその先で渋滞が発生、、、ということに
ならないかねぇ。

それと、「譲り合い心理の欠如的問題」だろう。

日本は徒歩などでの行列や順番などは、世界に類を見ないくらい
整然としていて、礼儀正しいのは、私もそう思う。(一部例外はどこにでもある)

しかし車に乗った人々(これも全員ではないが)が
どうも微妙に心理状態が変わるように見受けられる。

ロータリーはある速度で進入している中で絶妙な譲り合いと
阿吽の呼吸で、ロータリー内走行車優先を確実に守ることで成立する。

ロータリー内へ進入前の車が過度な優先意識を持ったり、
ロータリー走行中の車の速度を読み間違えたりすると、
事故が多発し、短絡的にロータリーは危険だ、、、というような
風潮にならないかなぁ、と危惧している。

おじいちゃんやおばあちゃんもバンバン車に乗らざるを得ない
地理条件の街が多いドイツなどでは、車の運転ルール・マナー
技術がやはり優れている。そして、それを守る意識は日本より
高いと、正直思う。

帰国してから日本人(すべてではないが)の運転マナーを
見ると、歩行者への配慮欠落、割り込み、追い越し車線を
ノロノロ走る、ウインカーを出さない、などなど簡単な配慮を
できてないケースが、明らかにドイツより多くカウントできる。
(嫁さんもオカンムリだ)
心理的余裕のない運転が多いということかもしれない。

自分も含めて、自省していこうと、思った今日この頃。

モラルとルール2013年02月24日 23時05分47秒

さて、カフェで長居したり、長時間勉強したりすることが
若干議論になってるそうな。

場所代込みで払ってるからいいとか、店への配慮に欠けるとか、、。

President Onlineで紹介されていた「ルールとモラル」を思いだした。

それによると、モラルは円の中心のようなもので、中心ほどモラルが高く、
本来、我々は中心を目指すべきであると。

一方、ルールとはある半径の円の円周のような境界線で、それを外側に
越えたらアウト!という性質のものだと。

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ルールというものが無いから何でもしてOKという考えは、
日本人の美徳・道徳感から外れているような気がするねぇ。

1名様1時間まで、とか、ここで勉強しないでください、とか
店内に書かれていなくても、つまりルールが無くても我々は
円の中心(つまり高いモラル)を目指すべきではないのかな。

そしてその記事には、なるほどな、ということも書いてあった。
ルールを作ってしまうと、ルールを守ることが中心になってしまいがちで
本来円の中心(つまり高いモラル)を目指すべきところが、
ルールさえ守ればOKということで、円周上近辺にとどまって
満足してしまうそうだ。

ルールは守ってるからいいでしょ、って。

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まあ、個人的には勉強は自宅か図書館で集中して、
カフェにはコーヒーとか休憩のためにいくべきだよな、と思いますがね。

数年前、フィレンツェをブラブラしていたとき、路地裏のカフェで
イタリア人カップルがチェスをしていた。
それはそれで、絵になっていたな。まあ、飲んでるものが
シャンパンだったんで、十分、場所代も払ってるようでしたけどね。