10月が始まっってしまった。2008年10月01日 06時26分14秒

本日のツバイブリュッケンは雨。

最近は時がたつのが速い。

それだけ充実しているということなのだろう。

今月もまた、忙しい日々が続きそうだ。

今のところ、

気力十分!

集中力も十分!

それでも気負わずに、空手の自然体をキープしよう。
※自然体:前後左右どちらにでも反応して動ける状態

こいつが、物理的なフットワークの軽さをもたらす。

そして、あとは心のフットワークの軽さを備えれば、
憂いなし!

またやってしまった。2008年10月02日 08時56分35秒

現在、ドイツ時間で夜中の2時。

最近、ワラワラと問題が発生し、根深いものから
奥の深いものまで、ヴォリューミーだ。

ということで、また仕事を家に持ってきてしまった。
嫁さんと子供が寝てから、いそいそと業務開始。

4時間くらいびっちり集中して処理してみた。

軽い案件一つと、重い案件1つ(2種類)の事前資料を3つ
作成してみた。

さすがにちょっと疲れたが、これで明日からの業務が
大幅に見込み付けできそうだ。

話は変わって、今週末はドイツの統一記念日だ。
ということで金曜日は休み。

ちょっと旅にでようかな。。。

イメトレ2008年10月06日 10時06分49秒

週末、ドイツの3連休を利用して、ちょっと家族で旅にでた。
旅の話は、別の機会にするとして、

途中、3歳の娘がぐっすり眠り、背中に背負って
1~2時間歩き続けたり、階段の登りおりをしたり、、
そんなことが連続した意外にハードな3日間だった。

重量物を担ぎ腰曲げた状態での歩行や屈伸は、
この歳?ですが、だんだん後半しんどくなってくる。

しかし眠った娘を放り投げるわけにもいかないし、
人生とは重き荷を背負いて坂を上るがごとし、、
これが人生だ!
などと考えていたのは、最初の数分だけ、
やはりしんどいものはしんどい。

あるとき、この疲労感がスキーの疲労感にやや似ている
ことに気づき、背負いながら冬・雪・スキー・トレーニングという
イメージで進めてみた。
(天候はビールが最高の友というような気温と天気だったが)

この一歩がコブを滑る基礎となるのだ、、と考えながら。
しんどいのは、筋トレをしていると考えれば、しんどいのは
当たり前。

そう考えていくと、なんとも不思議なものだ。

けっこうあっさり、しんどさは忘れ、もう少し負荷を
与えてみようかな、、、などと娘を背負いながら
つま先だけで歩いてみたり、片足の時間を長くしてみたり。

今回は車を利用しない旅だったので、意外に体力が
ついたかも、フフン!

と思っていたが、帰宅したころには、やはり身体のあちこちに
疲労感が、、、、、。明日起きれるかな、、、。
まあ、そんなに都合よく体力ついたり、スーパーマンになったり
しないよなぁ、やはり。

ドイツ語(被)使い分け2008年10月07日 04時34分16秒

最初はあまり仕事のことを書く気はなかったのだが、
ちょっと心境の変化があったので、ボチボチ書いていこうか。

さて、最近はまったくドイツ語の勉強をやっていない。
その時間を他のことに割いているので、仕方ない側面は
少なからずあるが、それだけではない。
やはり語学のモチベーションを維持するには、

1.最悪の職場環境で、現地語での陰口をすべて把握する
 もしくはだまされないために持続する。(負のエネルギー)

2.最高の職場環境で、現地語で話したい誰かがいて
  話したいから持続する。(正のエネルギー)

3.もしくは1と2の中間。

仕事で使えたらかっこいいとか、ドイツ赴任で
ちょっとくらいドイツ語を使えないとかっこわるいかな、、、などと
いう浮ついた動機では、はっきり言って持続しない。
(例:自分)

そうは言いいながらも、幼稚園の門をくぐった程度の
ドイツ語を使うということは、それなりの覚悟が必要だ。

1.電話やメール、会話など仕事の速度が極端に遅くなる。
  ((1/2^2)^2倍速だ)

2.少し幼稚園ドイツ語を使用しただけで、
 「君は、いいドイツ語を話すね~」と
 100%おだて(褒め)文言が出た後、
 本格ドイツ語が容赦なく襲い掛かってくる。
 入門数日の初心者に、正拳正中線5連突き&上段回し蹴りを
 一呼吸の間に食らわすのと同じ所業だ。

3.この1と2のトラウマを払拭する労力
(例:自分)

そうこうしていくうちに、仕事がたまり自分にイライラしてきて、
英語に逃げていく。(決して英語が堪能なわけではない)

つまりそういうことなのだ、英語で仕事が回ってしまう事実。

1.仕事では英語で90%以上のことが事足りる。
2.残り10%のうち8%くらいは現物目の前で説明可能。
3.残り2%は現地人に任せれば事足りる。

そこに甘えの付け入る隙があったわけだ。
(ドイツ語学習に関しての”甘え”)
そうしてモチベーションがある高さ以上にいかない状態に
陥る。

正直なところ、自分のこのモチベーションを無理に持ち上げる
ことはないかな、とも考えている。

英語を話せない現地スタッフには、なんとか幼稚園ドイツ語で
対応し、うまくごまかしている。
多分、日本語で聞くと、こんな感じだろう。
「モータ、旋回の、だけ、してください、測定。」

現状満足は進歩の止まりなので、よくなく、もちろん現状不満足だが、
業務速度を下げずに、現地スタッフともうまくやっていくには
ちょうどよいバランスが必要かもしれない。

- - -
翻って、幼稚園に通う3歳の娘。8月から幼稚園に通い始めて
2ヶ月目、幼稚園の子供たちと元気よくドイツ語で話ながら
遊んでいるそうだ。(嫁談)

嫁さんも娘がドイツ語に慣れるために、ちょくちょくドイツ語で
話しかけているので、娘も対応しているようだ。(嫁談)

その娘が私に話しかけるときは、99%以上日本語だ。
そしてごくごくまれにドイツ語で話しかけてくれるが、
超初心者でもわかる文言しか使ってくれない。
「コムヘヤ(おいで)」

ドイツ語を使い分けされてる、私って。。。もう少し頑張ろうかな。

2008年10月07日 06時31分00秒

久しぶりにゆっくり雲を見た。

真っ暗な朝6時の便に乗り、
スペインに向かっている時だ。

~ ~ ~
前回と同じ便で、前回は仕事で日帰りだったが、
今回は余暇で、3日間ある。

雲泥の差だ。

通関もコントロールも特にトラブルなく通過できた。

座席指定のないチープフライト。

もう慣れたが3人分の席確保は、いつもちょっとだけ緊張する。
~ ~ ~

太陽が昇り始め、どこまでも続く雲が薄らと見え始めた。

雲は水の粒で出来ているが、なんで下に落ちていかない
のだろうなぁ、などと小学生っぽいことを考えてみた。

雨の日は、土砂降りでも目を開けていれば前は見えるのに
雲や霧はなんで、前が見えないのだろうか、などと
中学生っぽいことを考えてみた。

ごくごく当たり前のことだが、空気中に分布している密度が
異なるからだろう。

雲や霧を作っている水の直径は0.01mm程度。
普通の人は見えない粒だ。だが、粒の数が半端ではないのだろう。
そして不純物をくるんでいる可能性も高い。
そして軽い。5.2x10^-13kgくらいだ。ずっと上昇気流などに
よって高さを維持できる軽さだ。

圧倒的な数の粒が、遠方の光を遮ってしまうのだろう。

雨は、直径1mm程度といわれている。
0.0005gくらいだ。そこそこ落ちてきそうだ。

仮に、1mx1mに雲粒子が均等に、かつ1層あったとしたら
1億粒だ。(10000個x10000個)

この粒で雨を作ったとしたら、何個の雨が
作れるだろうか。
体積的には、1000個だ。
これが1mx1mに1層分布していたら、
31.6個x31.6個で、間隔は3cmちょっと。
向こう側が見えるはずだ。

などと、上空から雲を眺めながら、しょーもないことを
考えていた。(検算などしないように!)

遠くからみると確実にあるように見える雲だが、
触ろうと思っても0.01mmの直径では
人間の皮膚が検知しないだろう。

仕事とは無縁のこんな思考実験をするのも
余暇ならではだな、、フフン、などと考えていたら

ほどなくして飛行機は雲海に突入し、
小刻みな揺れをしながら、あっけなく着陸した。

そして人生3度目のスペインが始まった。

挑戦的 経営?2008年10月07日 08時05分27秒

ドイツでも最大級のツバイブリュッケンのアウトレット。
(最大級というだけで、最大ではない)

5日、12日、19日と、オッフェヌング・ゾンタック(日曜営業)を
する(した)らしい。

教会側、市側などと物議をかもし出しているこの
アウトレットだが、
ドイツ人、フランス人、ベネルクスからの隣人にとっても、
やはり日曜は暇なのだろう。(想像)

朝は教会へという教会側の主張と
13時からオープンというのは、なんともコンプロマイズされた
議論後の落としどころっぽい。(想像)

とは言っても、アウトレットに行っても、
自分の身体にあるサイズがなかったりすることが
多いので、最近、日曜に開いていても、行ってないなぁ。。

前向きな仕事と、、、、、。2008年10月08日 04時40分07秒

企業の中には組織がある。

部門、セクション、グループ、チームなど言い方は様々だが、
とにかく分業と協働によって複雑多岐にわたる業務を
効率よく次工程に受け渡し、付加価値を顧客に提供して、
対価をもらう。
(職種によって、付加価値が何たるかは定義が分かれる)

メーカーに関して言うと、流れはだいたいこんなもんだろう。

仕事に関して、前向きな仕事、後ろ向きな仕事という区別は
嫌いなので、普段はしないのだが、せっかく「仕事~」という
カテゴリを作ったので、一度だけ書いてみようか。

開発部門や設計部門に勤めるものにとって、
「付加価値を作り出す行為」が、個人的には
純前向きな仕事かな、と今は考えている。
好きな仕事とか、楽しい仕事が、前向きという定義は
私の中にはない。しんどくても付加価値が出せれば
いいかなと普通に思う。

しかし実際は、そんな仕事ばかりではない。

わかりやすい例は、市場クレームだ。
誰しも問題のある製品を市場に投入してやれ、ウヒヒ!
とは思っていない。
しかし、様々な理由で、不幸にも問題を含んだ製品が
出てしまうことはありうる。

~ ~ ~
開発部門が他の部門と違う点は、品質問題を
起こしたら、負け(膨大な対策労力・費用発生)
ということだろうか。

確認時間がなかったから、開発時間が短いから、
使われ方が想定外だった、などいろいろ言いたいことは
あっても、言い訳はできない。
(一部他部門起因の問題はあるが)

もともと開発部門が作った(設計した)ものだからだ。
~ ~ ~

市場クレームが一つ二つでると、1月~2月はあっという間に
吹き飛ぶ。
事実確認・検証・対策検討・対策の効果実証・改善・コスト採算検討
・改善・市場対応、量産への展開と、リレーが始まる。

特に弊職場では、人員カツカツで普段でも回っていない上に、
突発的な技術確認を依頼すると他の通常業務が完全停止となる。
(そもそも任せられる人員も限られている)

それでも市場問題は緊急・重要が世の常なので、何かの業務を
止めて誰かがやらねばならない。(優先順位付けだ)

何を止めるかといえば、「付加価値を生み出す業務」だ。
・市場から要望のある新しいアタッチメント採用
・生産性向上のためのアイデア実現
・価値を下げずに低コスト化するアイデアなど
ゼロからプラスにする行為を止めざるを得ない。
 =前向きな業務の停止だ。

もちろん他の人員の付加価値生産業務を止めて、
やらせるということも立場上は可能だが、
彼らのモチベーション維持と開発したわけではない機械の
後始末的な被害者意識もなくは、ないので、
自然に優先順位が彼らの中で下がる。
(設計は日本、サポートが現地人というのが基本構成)

そして、わが身を投入していくわけだが、
この業務、、、マイナスをプラスもしくはゼロに引き上げる行為だ。

本当はプラスの価値と思って市場投入したが、
実は、マイナスだった!そりゃお客さん怒るわ。

マイナスをゼロに引き上げるということは、プラスの価値を
生み出さないとできないので、そういう意味では
付加価値増加業務=前向きな業務といえなくもないが、

大量の費用と時間と労力を費やして、ようやくゼロに戻すのが
9割以上のパターンだろう。ゼロまで戻すので精一杯で
大幅な機能アップなんて、とてもとても、、、。

相対的には付加価値増加だが、絶対的には付加価値が
大幅にプラスにならない限りは、

「直して当たり前」

だ。

気分的に後ろ向きということは、私の生涯ではほとんどないので、
業務は業務で進めていくし、クレーム処理や市場問題対応が
後ろ向きな業務と考えたことはない。

でも前向きな業務とも思っていない。
中間をとって、「横向きな業務」と捉えている。

明日からも粛々と進めていくわけだが、
自分の中で優先順位を付けた(市場問題によってつけさせられた)
状態は、他部門の人々にはわかるはずもなく、
緊急・超重要な案件を進めているときに、
方々から、言っちゃ悪いが、優先順位の低い
業務を依頼されたりすると、この緊急度温度差
(私が勝手に銘々)を感じる。

この緊急度温度ギャップは、時には(常に?)ストレスになるが、
ここが、人間力の分かれ目と、捉えるべきだろう。

最近は、全部メールを読めずに就業時間が終わることが多く、
一日24時間では不足感を感じるが、これは自転速度が遅く
ならない限り、修正は難しいので生きてるうちはあきらめよう。
(自転は摩擦で少しずつ遅くなっていると、いつか科学雑誌で読んだ)

明日も、気合十分!現地人とバシバシ議論・討論するか!

N = 1 の 危険性2008年10月08日 06時33分47秒

人は、誰しも自分の経験で物事を説明する傾向がある。

人物像、旅の感想、料理の味、車の走行フィーリングなど機会は様々だ。

経験で物事を説明すること自体は何も悪くはない。

問題は、何かその経験から判断するときとか、その説明が
一人歩きするとき、その経験が自分に自然に刷り込まれるときだ。

~ ~ ~
夏にスペインのアンダルシア地方を回り、とある村の
そこそこ良いレストランで夕食を食べたときのことだ。

シャンペン好きの我が家は、CAVA(カヴァ:スペインでの
スパークリングワインの呼称)を注文した。
(シャンパーニュ地方以外の発泡ワインはシャンパンと呼称できない)

感想:
甘い。べったり甘いわけではないが、辛口(ドライ)好きの
我々にとっては、ちょっと好みではない。
いいレストランで用意しているのが、これかよ、、と思いながら
スモールボトルだったので、さっさと飲み干して
モエシャンドンのフルボトルを注文し、正気に戻った。

それ以降、CAVAは甘いものというN = 1の ”経験”がとりつき、
CAVAは敬遠がちになった。

~ ~ ~
今回のスペインで、BAR(バル)をちょっとはしごしながら、
夕食に向かった。

はしごということで、ちょっと飲んでしまってるので、
ビールという気分でもなく、シャンペン・フルボトルは、Too muchと
いう状態だったので、CAVAを頼んでみた。

感想:
意外にいける。辛口だ。おいしいじゃない。

N = 2になった。判断するにはまだ早いが、

少なくとも我々のスペイン・スパークリングワインの評価は
上がった。(最低でも0点から50点まであがった)

これから他人に説明するときも、
N = 1の場合
「CAVAを試したけど、甘くて食事には合わなかったな~。
まあ、おいしいのもあるかもしれないけどね」

N = 2の場合
「最初CAVAを試したときは甘くて食事には合わなかったけど、
2回目の時は、辛口で食事にも合ったし、おいしかったで~」

説明する方の説得力と、受け取る方の納得度が
当たり前だが、やはり異なる。

そしてN = 2の人は、N = 3に挑戦しようという気持ちも起こるし、
N = 0の人は、ハズレもあるけど当たりもあるという納得感を
持ちながら挑戦できる。

まあ、個人的に思ったことなので他愛もないことだが、

1回しか経験していない経験を語るのは、単なる情報。

2回以上経験したことを語るのは、情報 + 説得力(納得感?)

3回以上経験したことを語るのは、情報 +説得力 + 精度
(説得力というのが抽象的でイけてないが)

・・・そうして
n回以上経験したことは、、事実・真実に近づいていくのだろう。

次にスペインに行ったら、N = 3を求めて
一度はCAVAを注文することだろう。

経験が自分の次の行動に与える影響は意外と大きいですね。
(N = 2回目の味がNGだったときの、次の行動も含む)