離見の見( りけんのけん )2008年10月15日 05時10分47秒

半年ほど前、世阿弥の本を読んで、 離見の見という言葉を覚えた。

舞台で演じている自分が観客にどのように映っているか?
それ(反応や態度)を意識しながら、自分の演技に変化を
つけて、独りよがりにならない「受ける演技」を提供するのだとか。
つまり相手(観客)あっての「能」というわけだ。
自分の背中をちょっと離れた位置から見る客観的視点ということ
だそうだ。

最近の自分を振り返ると、どうだろうか?
他人にちゃんと接しているか、おろそかにしていないか?

最近は特に緊急の業務が多く、パソコン画面の前で
手が止まる時間はほとんどない。これは家のパソコンで
趣味のことをしているときもそうだ。

この「手の止まる時間がない」という状態は、忙しさを表現している
のではなく、クリエイティブな作業が終了し、残りの作業(時間さえ
あれば終わらせられる業務)になっている状態で、
かつ集中できている状態のときに、よく私はこうなる。

しかし悲しいかな、プレイングマネージャーとは、聞こえは
いいが、用は管理と実務の兼務だ。

普通の企業がそうであるように、電話、訪問者、質問、突発案件で
集中は2時間に数十回は途切れさせられる。
これは正直、ストレスフルだ!
その時の心の持って行き方が、もう少し勉強が必要だ。
私はその辺、まだ人間がデキていないと、個人的には思う。
こうやって自分を反省して改善していくのが「離見の見」の
私なりの使い方だ。

すべき案件、重要度、緊急度、難易度、ボリューム、それに必要な
時間と人員数、今活用できる人員を把握し、割り振りするのはマネージャーの
仕事だ。当たり前だ。そしてそれを把握した瞬間に、プレイヤーに
なり、自分もコマとして、実務作業に入る。
そしてボリューム、所要時間、最終アウトプットの状態をイメージして
作業に徹するので、正直なところ邪魔されずに暗室で仕事したいくらいだ。
ま、でもそんなわけには行かない。それが仕事って言うもんだ。
でも疲れる要因の一つだ。それを顔にだしちゃあいけない。
まあ、これは最近はできるようになったかな。

~  ~  ~
話をもどして、業務過多になると、一個一個の案件の検討密度が
薄くなるリスク、他者からの質問や案件に対して割く時間を短くしたくなる気持ち、
時々、それが顔に出る(修行不足の)リスクなど、落とし穴がいっぱいだ。

こんなときにも自分を見つめなおすことが大事だ。
またこんなときに、色々な人を分析することもできて、そういう状況は
まんざら悪いことばかりではない。
あ~こいつは、相変わらず、仕事を転送・横流ししているブローカー系かぁ、、とか
お~こいつは、とにかく次工程のことを考えずに、自分の目の前の
問題がなくなれば終了と思ってるなぁ、、、とか
へ~この気遣い!心配り!ありがたいなぁ、、とか。
「離見の見」の周辺への適用といったところか。

時間も十分なくて困っている時に、初めて気づくことも多く
自分を鑑み、不足分を補う糧にできる。

~ ~ ~ やるべきヴォリューム、必要な時間、期日がはっきり自分で
わかっている分、おいそんなことで集中を途切れさすなよ!
とか、思いたくなるが、思わないように修行中だ。

最近は、毎日全メールを読み見れないことが多く、
日本にいた時と違った種類でより多忙だが、ここで
自分を見失わず、「離見の見」を実践して、
私のドイツでの業務を「能」のように感動を与えられるような
芸術に昇華させれたらいいなぁ、と恐れ多い夢を描きながら、
明日の自分に明日すべきことのメール打った。

求めるゴールはほど遠い、、、ふ~やれやれ。

本日は(も)、何をいいたいのかわかりにくい分散した内容と
なってしまった。
さて今日は、これから柔軟でもするか、、、、。