遠泳2008年10月16日 05時01分06秒

久しぶりに、膨大なかたまりの業務を緊急で進めるはめになった。

普段の業務とは量自体はそれほど変わらないと思うが、
普段の業務もそのまま残りつつなので、頭の切り替えが必要だ。

同じ種類の膨大なかたまりの業務が一度に来ると
最終到達地点が見える分、一瞬、固まってしまう。

単純作業ではない膨大な業務というのは、遠泳に似ている。

かなり細かいチェックをしながら新しい機能を付加していかねば
ならない。単純作業ではない。
=コースも複雑なのでただ手足をバタバタさせるだけではゴールできない。

1件処理するのに、1時間半程度かかる。そしてそれが、200件以上ある。
=一日では到底ゴールできない距離を泳がねばならない。
ペース配分も大事だ。

相手と市場がある分、途中でやめるわけにはいかない。
=マラソンと遠泳の違いのようだ。私程度のマラソンなら
途中でとまれば死ぬことはないが、、遠泳は泳ぎやめると
浮かび続けている自信がない、、。
(マラソンより遠泳がしんどいといっているわけではない)

仮に夜中まで処理しても、家に持ち帰っても1週間程度では終了しない
量だ。

これは逆にいうと、割り切りやすい。5時間くらい延長しようが、
家でしようが、最終終了日は、ほとんど変わらない。
なら勤務中に可能な限り集中して処理し、ある時間を
越えたら帰る!という感じの方が、持続力が衰退しなさそうだ。

膨大な量の仕事が来たときは、いつもこのように遠泳を
イメージして、持久戦でのぞむ。もちろん期日はあるので、
のんびりはできず、普段より数時間は伸びるが、
考え方を切り替えると精神衛生上は非常によい。

あとは、遠泳中に、足を掴むやつとか、絡んでくる海草とか、
ルール変更して遠泳距離を伸ばすやつとか、そんな突発的な
案件を落ち着いて処理する平常心が、当面の課題か、、、。

追伸:日本の北の地出身のせいもあり?(私だけかもしれんが)
泳ぎは得意ではないので、遠泳などはTVでしか見たことはない。
念のため記載しておく。

ピクトグラム2008年10月16日 06時33分15秒

ピクトグラムという言葉を知っているだろうか。

直訳すると絵文字だ。

欧州で機械系技術屋をやっていると、必ずといっていいほど
出会うピクトグラム。

技術屋でなくても、普段買い物にいったり、駅やバス停、
日用品、注意深く見ればどこにでも転がっているピクトグラム。

白物家電やDVD、デジカメなど、
製品を初めて使う人のための説明書、手順書、要領書は、
欧州の場合、EU加盟国すべての言語で記載されているのが 普通だ。
なぜならそれは、EC指令というEU域の法律で決められているからだ。
販売される国の言語の説明書なしでは、売っちゃだめよ!という 法律だ。

欧州は日本(島国)や北米(人種のるつぼ)などと異なり、
言語のるつぼだ。EU加盟国もじょじょに増加しているし、
今後も増えないとは言い切れない。
そのたびに、新しい言語が追加になり、説明書や公共の施設に
複数の言語が記載されていくのも、ちょっと考え物だ。
と、欧州人?国際人?は考えたらしい。
そこで、言語によらず共通の意味を持つ絵文字を規定し、
それを表示することで、全言語を記載する手間を省くという方法だ。
まあ、これは今に始まったことではなく、車なんかは、例えば
ヒータのマークとか、非常停止ボタン(三角のやつ)とか、
窓開け用のボタンとか(窓のマーク)とかかなり浸透している。
欧州車の窓開閉ボタンが25言語で書かれてたら、ややこしい。

産業機械なども安全、注意、警告ラベルなどは、すべて
ピクトグラムを使用することが法律で決められている。
もちろん、全言語で記載されたラベルを採用するという方法も
OKであるが、、、。

基本的な絵柄は規格で決められているが、ときには
ユニークな機能を絵で表現しなければならないため
規格の絵柄が使えず、非常に頭を悩ますことも多い。

「産業会のパントマイム」「業界のサイレント映画」と、
個人的に(勝手に)定義している。

例:
「そこを触っちゃ危険ですよ~」とか、
「そこを触っちゃ熱いですよ~」とか、
が、セリフなしで相手に伝わることが要求される。

無言で=説明文なしで、

一意的に誰にでも伝わる=それ以外誤解しようのない絵柄

上の写真はフランスのスーパーCORAの買い物カート置き場で
見つけたピクトグラムだが、これもよくわかる内容だ。

多種多用な言語にじかに接する機会の多い欧州ならではの
表示だ。

~ ~ ~
毎週火曜日に、ドイツのテレビでMr.ビーンの番組をやっているが
我が家の3歳の娘が、セリフなしのそれをみて笑っているのを、見て
Mr.ビーン恐るべし!生きた連続的なピクトグラムだな、と
日本でMr.ビーンをみたときよりも、彼のすごさを実感した。

「誤解しようのない表現をする」
私にはまだ無理だなぁ、、、。
せいぜい、↓これくらいが限界か、、、、、。(意味不明)
ピクト

Mr.ビーン2008年10月16日 07時18分21秒

前回、Mr.ビーンの話題を出したので、また書いてみよう。

正直なところ、日本にいるころ彼の作品をTVで見たが、
今ひとつピンとこなかった。

個性的な顔をしてるし、動きがコミカルなので面白いことは
面白いが、ふ~ん、という感じだった。

言葉を理解しているわけではない幼児がMr.ビーンの番組を
見て笑っているのを、見て、彼のすごさを実感するとともに、
自分が環境の影響を知らず知らずのうちに受けていることに
気が付いた。

言葉のまったくわからない世界に投入されて、
言葉の意義、重要性、生活に占めている割合、
そんなことに気づかされることが多い毎日を経験して
いくにつれて、向き合い方がちょっとづつ変化したようだ。

日本では、日本語の番組が豊富にあり、もちろん面白い内容から
くだらないものまで様々だが、「セリフなし」を楽しむ必要が
まったくなかったのだと思う。セリフありの番組(通常の番組)が
豊富にあり、それが当然のようになっており、わざわざセリフなしを
見るというのは、何年かに一回程度あれば十分と思っていた。

ドイツに来てから、最近では簡単なTV番組は見て情報を入手
できるが、けっこう真剣にヒアリングしなくてはならないし、
そこそこ疲れる。よってMTVやハプニング特集のような
ピクトグラム番組(勝手に銘々)に走るわけだ。

「何も考えずに気楽に楽しめる」

ドイツ語をネイティブのように理解できないものにとっては、
リラックスするために見ていたTVで脳が疲れるのだ。

言語中枢を使用しない(=疲れない)番組を見ることで
リラックスすることができる。それに気づいたのは、
ドイツの地で、英国人が演じるMr.ビーンだったのは、
自分でも意外だった。

言語のるつぼで、翻訳や多言語吹き替えが日常の
欧州であるから、セリフなしのビーンが受けたのかどうかは、
わからないが、セリフなし演技を見て、脳内変換なしで
理解できるパントマイムは、こういった言語環境から
生まれるべくして生まれたのかもしれない。